概要
沖田畷合戦に参戦した島津家久ゆかりの神社。
有馬氏の救援に赴いた家久率いる島津軍は「堂崎」に上陸した。家久はこの地にあった八幡神社に単騎で神社に赴いて必勝を祈願し、翌朝に軍船を焼き払い不退転の覚悟で龍造寺との決戦に臨んだという。戦後、家久は戦勝は神護によるものと深く感謝し神社に寄進したと伝えられる。
フロイス「日本史」によると、島津氏は有馬鎮純(晴信)に対し「キリストの教えを棄てれば支援を約束する」と勧告しており、また沖田畷合戦後、晴信によって破壊された島原・雲仙地帯の寺社の復興を計画している(島津家重臣・上井覚兼は現地を訪れ「當郡中南蛮宗にて、温泉山坊中(満明寺)無残破滅候、然者御立願此度被成候」と日記に記している)。前述の家久による寄進の逸話も含め、島津家中の神仏に対する強い信仰心が伺える。
参考文献
『大日本古記録 上井覚兼日記 中』東京大学史料編纂所(中央公論社)
ほか現地案内等