概要
島津・有馬連合軍が龍造寺軍を破った「沖田畷合戦」の舞台の一つ。島原の有力国衆・島原氏の居城で、かつては海に面した海城だった。
有馬氏に服属していた島原氏は、龍造寺氏の勢力拡大に伴いこれに降り、以降浜の城は島原戦線における龍造寺方の重要拠点の一つとなった。
天正12年3月、島津・有馬連合軍は浜の城への攻撃を開始。その後詰として龍造寺隆信は大軍を動員し、沖田畷合戦が勃発した。
龍造寺方は海路で兵や兵糧などを浜の城に運び込もうとするが、連合軍の水軍に阻止されている。両軍は浜の城の北方の沖田畷にて激突、龍造寺隆信は討ち取られ合戦は連合軍の勝利に終わった。戦後、籠城していた島原純豊は降伏退去している。
城のあった区画は埋め立てられおり現在は海には面していない。跡地は「島原中央公園」となり、一角に石碑がある。
参考文献
『島津四兄弟の九州統一戦』新名一仁(星海社)
『再検証 沖田畷合戦』中西豪(学研プラス 歴史群像2020年3月号)
ほか現地案内等