概要
島津氏と大友氏が激突した高城・耳川合戦(天正6年11月12日)の戦後、島津方が戦没者を供養するため建設した碑で、通称「カンカン仏」。国指定文化財。
戦国期の島津氏は島津忠良(日新斎)以来、「怨親平等」の考えに基づき合戦の後に敵味方供養を度々行っており、加世田城攻めや木崎原合戦、朝鮮役などの供養碑・六地蔵塔が各地に残っている。
高城・耳川合戦の後、島津義久は福昌寺より僧を呼び寄せ、三百人あまりで大不施餓鬼を行った。その後七回忌において建立されたのが宗麟原供養塔である。
参考文献
『乱世を生き抜いた名家 島津家の謎11』桐野作人(KKベストセラーズ 歴史人2018年4月号)
『高城合戦歴史読本』白岩修(木城町教育委員会)
『高城合戦ウォーキングマップ』(木城町教育委員会)
ほか現地案内等