概要
天正6年(1578)の高城・耳川合戦で大友方、天正15年(1587)の根白坂合戦では豊臣方が拠点を置いた陣の一つ。高城とは直線距離にして300m程度と、目と鼻の先といってよいほど至近にある(画像3枚目、左が高城、右が松山之陣)。
高城・耳川合戦では、島津義弘らが「川原陣」を攻略するため出した野伏に対し大友勢が松山陣から攻めかかるも包囲殲滅され、陣は焼き払われている。この前哨戦により大友方の各陣は連携を失い、翌日11月12日の決戦に大きな影響を与えた。
根白坂合戦では、豊臣日向方面軍の大将である豊臣秀長が拠点を置き、51ヶ所の陣をもって高城を包囲した。
豊臣軍が陣を張った際に築いた、曲輪・空堀・土塁などが残っており、全国的に見ても豊臣氏関連陣跡として希少。
参考文献
『島津四兄弟の九州統一戦』新名一仁(星海社)
『高城合戦について』白岩修(高鍋町中央公民館 歴史講座)
『高城合戦歴史読本』白岩修(木城町教育委員会)
ほか現地案内等