概要
島津氏と大友氏が激突した高城・耳川合戦(天正6年11月12日)において戦死した島津方武将、本郷蔵人の供養墓。
北郷氏は島津氏宗家第四代・忠宗の六男、資忠を祖とし、その子、義久が都之城を領し地盤を置いた。一時は周辺勢力に押され衰退しながらも戦国期、第八代の忠相が都城盆地一帯を支配下に置き、最盛期を築いた。蔵人は第十代・時久の従兄弟。
伝承によると、合戦において一隊を率いた蔵人は、当地に危害が及ばない作戦を立て民兵の動員も行わなかったと言われており、その感謝から、172年後に供養墓が建てられた。今なお地域住民によって清掃整備、顕彰活動が続けられている。
参考文献
『高城合戦歴史読本』白岩修(木城町教育委員会)
『高城合戦ウォーキングマップ』(木城町教育委員会)