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十一面観世音菩薩坐像
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じゅういちめんかんぜおんぼさつざぞう
十一面観世音菩薩坐像
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概要
天正6年(1578)の高城・耳川合戦、天正15年(1587)の根白坂合戦、2つの合戦において
高城
を守った島津家武将・山田新介有信が寄進した像。
新納院高城城主であり、当地の地頭でもあった有信が高城・耳川合戦の敵方である大友氏の戦死者を供養するため制作させ、蓬莱山興福禅寺の本尊として寄進した。現在は高城の麓にある小屋の中に鎮座している。
有信はこの他にも、敵味方の戦死者を供養するため六地蔵塔(
宗麟原供養塔
)も建立している。
参考文献
『高城合戦歴史読本』白岩修(木城町教育委員会)
『高城合戦ウォーキングマップ』(木城町教育委員会)
ほか現地案内等