「
戸次川合戦」(天正14年12月12日)の舞台の一つ、大友方の城「
鶴賀城」の城主で島津軍の攻撃により戦死した利光宗魚の墓。
利光宗魚は宗麟と義統の二代に渡って大友氏に仕えた重臣であり、キリシタンでもあった。
鶴賀城には城兵700と民衆約3,000が籠もり島津勢に対抗したが、天正14年(1586)12月6日には二の丸・三の丸が陥落し、10日には宗魚自身も狙撃により戦死した。
成大寺は利光氏の菩提寺であり6ヶ寺の末院を有する大寺院であったが、鶴賀城の攻防により焼失。近世に入り、慶安元年(1648)に復興した(現在は廃寺)。
敷地内には宗魚の墓の他、戸次川合戦で戦死した長宗我部信親に付き従った御供衆の碑、住職の墓などがある。
参考文献
『さつま人国誌3 戦国近世編』桐野作人(南日本新聞社)
『<島津と豊後侵攻戦>九州制覇目前 戸次川の合戦の行方』桐野作人(学研パブリッシング 歴史群像デジタルアーカイブス)
『島津四兄弟の九州統一戦』新名一仁(星海社)
『戸次川の合戦 史跡めぐり』(戸次校区健康といやしの里づくり実行委員会)
ほか現地案内等