島津四兄弟の次男、島津義弘と妻・実窓夫人の菩提寺。妙圓寺とも。
元中7年(1390年)、後に島津家当主菩提寺・福昌寺を開山した石屋真梁によって開山、曹洞宗「法智山妙円寺」と号する。元来島津本宗家の崇敬を受けてきたが、義弘は特に妙円寺に対する信仰が篤く、生前より自らの菩提寺に指定、500石を与え、京都の仏師・金泥康厳の手による義弘の寿像(御影像)が神体として祀られた(同じ像が加治木・本誓寺にも安置された)。
廃仏毀釈により廃寺となったが、明治13年に近隣に復興して今に至る。廃仏毀釈時、位牌は当時の住職に保護され現寺に安置された。一部宝物(前述の寿像や義弘が所持したとされる金の惣天目)は、元々の妙円寺跡地に創設された徳重神社に移されている。
義弘は薩摩藩士からの崇敬を特に集めており、その遺徳と関ヶ原退き口の苦労を偲び甲冑を纏って妙円寺に参拝したのが、鹿児島三大行事の一つに数えられる「妙円寺詣り」の始まりである。
住所 | 鹿児島県日置市伊集院町妙円寺1-112 |
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Webページ | http://myoenji.jp/ |
御朱印 | 有 |
駐車情報 | 有 |
アクセス | ■車 ■公共交通 |
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