関ヶ原合戦において島津義弘の影武者となって討ち死にした長寿院盛淳の墓所がある。
「種徳山琳光寺」。大永年間に創建とされる。
長寿院盛淳ははじめ義久に仕え、義久隠居後は義弘の家老として重責をまかされた。関ヶ原合戦勃発時は留守居役として国元にいたが、義弘の危機を知ると70余名を率い、本戦前日に戦場に駆けつけた。この時義弘は大いに喜び、褒美として以前太閤秀吉から下賜された陣羽織を授けたという(この時、石田三成からも軍配を拝領している)。
関ヶ原より退却する際、長寿院は本陣にとどまって義弘の影武者となって奮戦、乱戦の末討ち死にしたとも、切腹したとも言われている。
琳光寺には位牌が安置されており、大正時代には子孫により供養碑も建てられている。また、その近くには無名戦士の墓も残っており長寿院の家臣のものと思われる。
住所 | 大垣市上石津町牧田2487 |
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駐車情報 | 無…近隣駐車スペース有 |
アクセス | ■車 関ケ原ICより5分 ■公共交通 JR関ケ原駅より「名阪近鉄バス 関ケ原多良線 牧田上野行き」10分、「牧田上野」下車徒歩2分 |
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