鶴賀城 「戸次川合戦」(天正14年12月12日)の舞台の一つとなった大友方の城。「利光城」とも呼ばれる。 府内と臼杵を繋ぐ要衝に位置し、府内侵攻を目指す島津勢の攻撃を受けた。この時城主の利光宗魚(鑑教)は出陣中であり、不利と判断… 花見酒
鏡城 「戸次川合戦」(天正14年12月12日)の直前に、豊臣先手衆の四国連合軍と豊後大友勢が入城した城。 豊臣先手衆の軍監だった仙石秀久は、「防備を固めよ」という秀吉の指示を破って積極策をとり、島津軍に包囲されている鶴賀城救援… 花見酒
大友宗麟陣屋跡地 高城・耳川合戦(天正6年11月12日)において、大友宗麟が本陣を置いた場所。 天正6年9月、日向への本格侵攻を開始した大友宗麟は、本隊を田原紹忍に任せ、自身は海路にてこの地に入った。 「フロイス日本史」によると、宗麟の日… 花見酒
高城 天正6年(1578)の高城・耳川合戦と天正15年(1587)の根白坂合戦の舞台となった城。両合戦(それぞれ第一次・第二次高城合戦とも呼ばれる)では山田新介有信が守将を務めた。 建武二年(1335)、島津第四代の忠宗の子、… 花見酒
浜の城 島津・有馬連合軍が龍造寺軍を破った「沖田畷合戦」の舞台の一つ。島原の有力国衆・島原氏の居城で、かつては海に面した海城だった。 有馬氏に服属していた島原氏は、龍造寺氏の勢力拡大に伴いこれに降り、以降浜の城は島原戦線における… 花見酒
島原城(森岳) 島津・有馬連合軍が龍造寺軍を破った「沖田畷合戦」の舞台の一つ。合戦当時、現在の島原城本丸付近の丘陵は「森岳」と呼ばれており、島津家久が本陣を置いた。 浜の城を攻囲していた連合軍は龍造寺本隊の襲来に備えて、森岳を中心として… 花見酒
深江城 島津・有馬連合軍が龍造寺軍を破った「沖田畷合戦」やその前哨戦の舞台。島原国衆、安富氏の居城。 天正11年、有馬氏の救援要請を受けて八代より渡海した川上久隅を大将とする島津軍は有馬軍とともに深江城を攻撃するも、島津重臣新納… 花見酒
寺中城 島津・有馬連合軍が龍造寺軍を破った「沖田畷合戦」の舞台の一つ。島原国衆、島原氏家臣・和泉左京が在城した。 島原戦線における龍造寺方の重要拠点の一つで、沖田畷合戦に臨む龍造寺隆信が着陣している。合戦前日の天正12年3月23… 花見酒
丸尾城 島津・有馬連合軍が龍造寺軍を破った「沖田畷合戦」の舞台の一つ。島原国衆、島原氏居城「浜の城」の支城。 沖田畷合戦では連合軍の拠点として、島津家臣・猿渡信光が布陣。本陣である森岳(現・島原城付近)と海岸線を結ぶ陣地の一角と… 花見酒
加久藤城 島津四兄弟の次男・義弘が青年期に領地とした「真幸院(まさきいん)」の城。川上忠智を城代に、義弘の正室(後妻)・実窓夫人が居住した。 応永年間(1394年~1428年)に北原氏によって築かれ当初は「久藤城」と呼ばれていたが… 花見酒
飯野城 島津四兄弟の次男・義弘の居城で、生涯において最も長く(約26年間)拠点とした。 永暦元年(1160年)に築かれたと伝わる。日下部氏、北原氏、ついで相良氏が領有していたが、島津氏が横川城を押さえると相良氏は撤退。永禄7年(… 花見酒
松尾城(栗野城) 島津四兄弟の次男、義弘の居城跡。 天正15年(1587年)、太田武篇之介(江戸城を築いた太田道灌の子孫と言われる)に義弘が命じ城を改築させ、長年に渡り拠点とした真幸院・飯野から移って居城とされた。文禄の役に際しては、当城… 花見酒