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たかじょう
高城
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概要
天正6年(1578)の高城・耳川合戦と天正15年(1587)の根白坂合戦の舞台となった城。両合戦(それぞれ第一次・第二次高城合戦とも呼ばれる)では山田新介有信が守将を務めた。
建武二年(1335)、島津第四代の忠宗の子、島津時久が新納院を領し新納氏と名乗った頃に築かれたとされる。日向国と隣国である豊後国・大隅国を結ぶ「薩摩往還」と呼ばれた官道が通る地域にあり、軍事的要衝であった。その後土持氏が所有していたが、伊東氏に奪われ伊東四十八城の一つとなる。島津氏によって伊東氏が豊後落ちした後の天正6年に有信が高城の地頭、城主となった。
第一次・第二次ともに、「敵方の高城包囲に対する島津方の後詰」として合戦が起こっており、そのどちらも十数倍~数十倍以上の大軍の攻撃に晒されながらも落城せずに見事持ちこたえた。特に第二次合戦では、島津本隊が敗れ島津義久が降伏してもなお抵抗を続け、義久の説得を受けようやく開城している。
標高60mほどの丘陵に急峻な山地の尾根を利用した7つの空堀と複数の曲輪で構成され、東端に本丸、西側に二の丸があったとされる。麓には「平城」があり、平時においてはそこで政務が行われた。
麓からも空堀が確認できる(右から第2~4空堀)
参考文献
『島津四兄弟の九州統一戦』新名一仁(星海社)
『高城合戦について』白岩修(高鍋町中央公民館 歴史講座)
『高城合戦歴史読本』白岩修(木城町教育委員会)
『高城合戦ウォーキングマップ』(木城町教育委員会)
『本藩人物誌』
ほか郷土史、現地案内等