島津・有馬連合軍が龍造寺軍を破った「沖田畷合戦」の舞台の一つ。島原国衆、島原氏居城「浜の城」の支城。
沖田畷合戦では連合軍の拠点として、島津家臣・猿渡信光が布陣。本陣である森岳(現・島原城付近)と海岸線を結ぶ陣地の一角として機能した。連合軍はこのライン上に土手・堀・間柵を築き、龍造寺軍を迎え撃ったとされている。なお信光嫡男・弥次郎はこの戦いで戦死している。
合戦後、陣没者の供養として跡地に禅林寺が建てられた。島原藩主となった松平氏により本光寺の末寺・浄林寺と改められ、更に柏野にあった本光寺を移し松平氏菩提寺として今に至る。敷地内には「
常盤歴史資料館」があり、松平氏関連の史料・美術品や、戦国期の書状などが展示されている。
参考文献
『再検証 沖田畷合戦』中西豪(学研プラス 歴史群像2020年3月号)
島原市公式HP
ほか現地案内等