概要
島津四兄弟の次男、義弘ゆかりの寺院跡。
応永13年(1406年)酒井氏によって建立され、初めは「崇寿寺」と呼ばれた。朝鮮の役の最中に病死した義弘五男・久四郎(忠清)の菩提所となったことから、「徳元寺」と改められた(墓が隣地にある)。
栗野郷の中心寺院として栄えたが、廃仏毀釈で廃寺となった。
島津第27代斉興の命により編纂された、「三国名勝図会」には、「義弘が文禄の役から帰国した際『千葉蓮(センヨウレン)』と呼ばれる蓮を持ち帰り徳元寺の池に植えた」との記述が残っており、周辺古老の証言に基づき 2017年行われた発掘調査の結果、石垣や池が発掘、堆積した土の中から蓮の実が多数出土した。種子は発芽が試みられたが、失敗に終わった。