島津本宗家の菩提寺。第6代氏久以降の歴代当主や一族、その夫人らや家臣の墓石等が残る。
応永元年(1394年)第7代島津元久の命により、
大伽藍を有する南九州屈指の寺院であり、最盛期には1500名もの僧が属し、薩摩藩政期の寺領は1361石に及んだ。また、薩摩・大隅・日向の僧録所(僧侶の人事を統括・統制)として、南九州の禅宗寺院を管轄。末寺は九州・中国・四国・北陸地方など、広範囲に渡ったとされている。
フランシスコ・ザビエルが鹿児島滞在時、当時の住職・忍室と宗教問答を交わしたという伝承が残る。
廃仏毀釈により廃寺となり、現在その敷地の大部分は校名を同寺に由来する「玉龍高校」となっている。
戦国島津期の人物では、貴久・義久・義弘・歳久・家久(忠恒)や夫人らのほか、関ヶ原で義弘の影武者となって討ち死にした長寿院盛淳の墓がある。
住所 | 鹿児島県鹿児島市池之上町48 |
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駐車情報 | 無 |
アクセス | ■車 ■公共交通 |
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