概要
島津義弘が朝鮮に渡航する際に出陣式を行った神社。
栗野の総鎮守で、正式名称は「正若宮(しょうわかみや)」。創建は古く、建久八年(1197)の大隅国図田帳に「栗野院六十四丁正宮領」と記されており、本殿正面・菊の御紋から社格の高さが見て取れる。
義弘は出陣式(御首途の儀式)において、「備前錆び刀磨欲(とぎほし)踊り」を舞わせ、将兵の士気を高めた。その日は大雪であたり一面雪景色であり、義弘は即興で「野も山も みな白旗となりにけり今宵の宿は 勝栗の里(※)」と詠み、この歌により、明治の初めの頃から「勝栗神社」と呼ばれることになったと伝わっている。
この刀磨欲踊りは、その後も義弘五男・久四郎の命日に舞われ300年余り続いていたが、戦後GHQの指導により刀を使った舞踊が禁止されたため戦後途絶えた。しかし、文献や地元古老への聞き取りを元に、2016年に71年ぶりに復活した。
※降り積もった雪を源氏の旗印である白旗に見立て、幸先が良いという思いをあらわした句。