概要
島津四兄弟の次男、義弘の愛馬の墓。
元亀3年(1572年)の「木崎原合戦」において膝を折って義弘の戦いを助けたため、以後膝跪騂(※)と呼ばれ、以後長く愛馬として従軍したと言われている。膝を折った経緯については「敵の伊東方・柚木崎正家の一騎打ちの際、膝を折って槍を突きやすくした」「義弘に迫った敵の攻撃を膝を折って躱した」と2つの説が残っている。
墓碑の傍らには、飼育を担当した橋口対馬夫妻の墓も残る。
かつては昔は春を告げる初午祭の時、帖佐の人々は旧暦正月十九日に馬頭観音の代わりにこの墓へ詣でたと言われ、
長く廃れていたが、平成12年の関ヶ原400年記念事業を期に「十九日馬踊り」を復活して現在に至る。
※騂は赤茶色、つまり栗毛色のこと