徳元寺跡 島津四兄弟の次男、義弘ゆかりの寺院跡。 応永13年(1406年)酒井氏によって建立され、初めは「崇寿寺」と呼ばれた。朝鮮の役の最中に病死した義弘五男・久四郎(忠清)の菩提所となったことから、「徳元寺」と改められた(墓が隣… 花見酒
勝栗神社 島津義弘が朝鮮に渡航する際に出陣式を行った神社。 栗野の総鎮守で、正式名称は「正若宮(しょうわかみや)」。創建は古く、建久八年(1197)の大隅国図田帳に「栗野院六十四丁正宮領」と記されており、本殿正面・菊の御紋から社格… 花見酒
松尾城(栗野城) 島津四兄弟の次男、義弘の居城跡。 天正15年(1587年)、太田武篇之介(江戸城を築いた太田道灌の子孫と言われる)に義弘が命じ城を改築させ、長年に渡り拠点とした真幸院・飯野から移って居城とされた。文禄の役に際しては、当城… 花見酒
膝跪騂(膝突栗毛)の墓 島津四兄弟の次男、義弘の愛馬の墓。 元亀3年(1572年)の「木崎原合戦」において膝を折って義弘の戦いを助けたため、以後膝跪騂(※)と呼ばれ、以後長く愛馬として従軍したと言われている。膝を折った経緯については「敵の伊東方… 花見酒
岩剱城 島津四兄弟のうちの3名、義久・義弘・歳久が初陣を飾った「岩剱城合戦」の主戦場となった城。 享禄2年(1529年)頃、祁答院氏あるいは蒲生氏によって築城したと伝わる。天文23年(1554年)、蒲生・菱刈・祁答院氏の連合軍と… 花見酒
精矛神社 島津四兄弟の次男、島津義弘を祀る神社。 義弘は元和5年(1619年)7月21日に加治木屋形にて没し、遺体は島津家菩提寺である鹿児島福昌寺に埋葬された一方、加治木・本誓寺と伊集院・妙円寺には、京都の仏師・金泥康厳の手による… 花見酒
加治木島津屋形跡 島津四兄弟の次男・義弘の最後の居館で、終焉の地。 慶長8年(1603年)義弘の命により明国人の易学者・江夏友賢が、建設地の選定・縄張り・町割りを行った。義弘は慶長12年(1607年)、平松城から加治木に移り、元和5年(1… 花見酒
姶良市歴史民俗資料館 島津四兄弟の次男・義弘にゆかりの深い姶良市にある歴史資料館。 義弘を中心とした中世期のコーナーがあるほか、義弘が朝鮮から連れ帰った陶工たちが故郷を偲んで作ったのが起源とされる郷土工芸品「帖佐人形」が多数展示されている。 … 花見酒