利光宗魚の墓(成大寺) 「戸次川合戦」(天正14年12月12日)の舞台の一つ、大友方の城「鶴賀城」の城主で島津軍の攻撃により戦死した利光宗魚の墓。 利光宗魚は宗麟と義統の二代に渡って大友氏に仕えた重臣であり、キリシタンでもあった。 鶴賀城には城… 花見酒
十一面観世音菩薩坐像 天正6年(1578)の高城・耳川合戦、天正15年(1587)の根白坂合戦、2つの合戦において高城を守った島津家武将・山田新介有信が寄進した像。 新納院高城城主であり、当地の地頭でもあった有信が高城・耳川合戦の敵方である大… 花見酒
八幡神社(島原) 沖田畷合戦に参戦した島津家久ゆかりの神社。 有馬氏の救援に赴いた家久率いる島津軍は「堂崎」に上陸した。家久はこの地にあった八幡神社に単騎で神社に赴いて必勝を祈願し、翌朝に軍船を焼き払い不退転の覚悟で龍造寺との決戦に臨んだ… 花見酒
一之宮神社 島津氏の祖、「島津(惟宗)忠久」を祭神とする神社。副祭神として、忠久生母・丹後局、忠久養父・惟宗広言。 創建は不詳だが、「延徳3年(1491年)に再造」とあり、創建はそれ以前とされている。近世になり薩摩藩主ら、22代継豊… 花見酒
天沢寺跡 島津歳久と殉死者の供養碑が残る。 応永年間に曹洞宗寺院「重元寺」として一岳洞忍和尚が開山。その後、島津尚久の菩提寺として天正年間に「雲秀寺」と改め、更に島津常久の菩提寺として寛永年間に「天沢寺」となる。廃仏毀釈により寺院… 花見酒
琳光寺 関ヶ原合戦において島津義弘の影武者となって討ち死にした長寿院盛淳の墓所がある。 「種徳山琳光寺」。大永年間に創建とされる。 長寿院盛淳ははじめ義久に仕え、義久隠居後は義弘の家老として重責をまかされた。関ヶ原合戦勃発時は留… 花見酒
木崎原古戦場 島津義弘を代表する合戦の一つ、「木崎原合戦」の舞台。 元亀3年(1572年)、島津氏と敵対する日向の伊東氏は義弘の領する真幸院(まさきいん)に侵攻。島津勢300に対し伊東勢は10倍の約3000と、後年義弘が「蟷螂の斧のよ… 花見酒
徳元寺跡 島津四兄弟の次男、義弘ゆかりの寺院跡。 応永13年(1406年)酒井氏によって建立され、初めは「崇寿寺」と呼ばれた。朝鮮の役の最中に病死した義弘五男・久四郎(忠清)の菩提所となったことから、「徳元寺」と改められた(墓が隣… 花見酒
勝栗神社 島津義弘が朝鮮に渡航する際に出陣式を行った神社。 栗野の総鎮守で、正式名称は「正若宮(しょうわかみや)」。創建は古く、建久八年(1197)の大隅国図田帳に「栗野院六十四丁正宮領」と記されており、本殿正面・菊の御紋から社格… 花見酒
精矛神社 島津四兄弟の次男、島津義弘を祀る神社。 義弘は元和5年(1619年)7月21日に加治木屋形にて没し、遺体は島津家菩提寺である鹿児島福昌寺に埋葬された一方、加治木・本誓寺と伊集院・妙円寺には、京都の仏師・金泥康厳の手による… 花見酒
天昌寺跡(日置) 島津豊久の他、永吉島津家の歴代当主と夫人らの墓が残る。 元中2年(1385年)、福昌寺や妙円寺、近隣の梅天寺など、他の島津家ゆかりの寺を開山した石屋真梁(せきおくしんりょう)により創建、当初は妙通寺と号した。元々、豊久の… 花見酒